小2長女の発達障害(グレーゾーン)を疑い、児童精神科を受診した。
児童精神科の受診理由
- 身支度ができないから
- 衛生観念がおかしいから
- 忘れっぽいから
児童精神科の受診理由はいくつかある。大きな困り事を列挙したが、最大の困り事は私が常に子供に怒っていることだ。子供の発達に絶対に悪影響があると思った。
発達障害やそのグレーゾーンであれば良い意味で諦められるだろうし、定型発達であれば、それはそれで諦められるかもしれない。この子はこういう子だからしょうがない、と。
子供本人は困っておらず、私だけが困っていた。私自身の困り事を解消するために児童精神科を受診したようなものだ。
「やること」が点と点でしか存在していない。線で結ばれない。
入浴後には体を拭く。ボディローションを塗る。パジャマを着る。髪を拭く・乾かす。これらがすべて散らばっている。一つ終えては遊び始める。
一つ終えるのも一苦労だ。腕にローションを塗ればそこで終わってしまう。脚には塗らない。パジャマも着ず、すっぽんぽんのまま家の中をうろつく。こんなことばかりで一向に身支度が進まない。都度声をかけてもすぐに動かない。私はイライラして段々と声が大きくなっていく。
自分で考えさせれば動けることもあるが、それでも余計な動作が多い。いちいちそこら辺に置いてあるものを触る。触っているうちに自分のやるべきことを忘れる。見ていても腹が立つし、見ていなくても腹が立つ。何も進んでいなくて。
5歳の次女の方がスムーズに終わる。言わなくてもできる。
食べこぼし、飲みこぼしが多い。しかも汚れていることに無頓着。
ご飯を手で触る。その手であちこち触る。
なぜかお尻を直に触り始める。その手であちこち触る。
シャツをズボンにしまわない。何度注意してもだらしなく出している。
正直我が子とは言え生理的嫌悪感が湧く。発狂しそうになる。
3秒後にはいろいろなことを忘れている。私からの指示は特に。
忘れっぽい自覚はある模様。だからこそ「言われたらすぐに動け」と言うのだが動かない。動かないでいてやることを忘れる。私に怒られる。そして「お母さんは怒ってばかり」と言う。アホとしか言いようがない。
毎日毎日それの繰り返しで頭がおかしくなりそうになる。
児童精神科医による診察の結果
長女は発達障害やグレーゾーンではないとのこと。学校の先生に指摘されていなければまず問題はないとのこと。発達障害やグレーゾーンであれば、診察室に入った瞬間にわかるとのこと。きちんと会話ができているし、友達もいるし、集団生活を送れているなら心配する必要はないとのこと。
グレーゾーンくらいには入っていると思っていたので拍子抜けだった。
そして、5歳の次女と私の幼少期ができすぎていることを知らされた。知能が高いと言われた。私としては、次女や幼少期の私が所謂「普通」だと思っていた。その「普通」の基準が高かったようだ。だから、次女や幼少期の私よりできない長女を、「とんでもなくできない」と捉えてしまったようだ。
私は一人っ子だ。両親にとっても、長女との比較対象は私と次女しかいない。私と次女は同じタイプだ。何でもそつなくこなす。先読みができる。だけど長女は、私たちとは明らかにタイプが違う。そんな長女は、両親の目にも「ちょっと大変な子」に映っていた。
両親からの指摘もあり、長女に対する悩みがどんどん膨らんでいった。だけど、ただ私が勝手に悩んでいるだけだったのだ。長女に関する困り事は、すべて私が作り上げたものだったのだ。
児童精神科受診後の心境の変化
長女が定型発達だと判ってから、事あるごとに「この子は普通だ」と言い聞かせた。この子がおかしいのではない。私の基準が高すぎるだけだ。イライラする気持ち、怒りたい気持ちをぐっと堪え、呪文のように唱えた。
最初は苦しかった。頭と心が矛盾でいっぱいだった。だけど次第に、本当に「この子は普通だ」と思えるようになった。
私から見れば、できないことが多いのは事実だ。なぜできないのかを理解できないことに、悩みそうになることもまだまだある。それでも、「この子はおかしい」とは思わなくなった。長女の普通と私の普通が違うだけだと理解したのだ。
最近はあまり怒らなくなった。正直いちいち声をかけて子供を動かすのは疲れる。面倒くさい。そこにリソースを割く余裕がない。自分でどんどんやってくれと思う。時間に追われているときは特にそうだ。
だったら私がやってしまえばいいではないか。私が手を出せば何もできない人間になってしまうと思っていたが、きっとそんなことはない。自分でやらなければいけないときが来たら、勝手に自分でやるだろう。それよりも今は、私も子供も平穏に過ごすことが重要ではないか。怒鳴り散らすくらいなら、子供の苦手なことは私がやってしまえばいい。それでいいのではないだろうか。もちろん時間に余裕のあるときには、先を読んで動く練習もさせるが。
私はおそらく完璧主義すぎるのだろう。それを子供に押し付けていたのかもしれない。
それぞれのペースで、それぞれが笑顔で生きられるようにしていきたい。
