「親の機嫌は子供に伝染する」
子を持つ親の多くはこのことを理解していると思う。
私もその一人だ。
実際に体験してみると、それがどんなに重要なことなのかよくわかる。
今回は、「母親の機嫌と子供の機嫌の関係」について書いていく。
母親の機嫌が子供にどんな影響を与えるかという話で、私の実体験だ。
やや生々しい話もしている。
また、私が日頃、育児でイライラしないために心がけていることについても触れていく。
目次
生理前の私 vs 癇癪を起しやすい4歳児・・・真の対戦相手とは
まず、私と子供(4歳の長女)の性質の紹介からしよう。
私は元々短気だ。
父親譲りの、筋金入りの短気だ。
生理前は特に、しばしばメンタルが大荒れになる。
些細なことにもイライラしてしまう。
箸が転がり落ちただけで舌打ちだ。
一方で4歳の長女は、赤ちゃんの頃から癇癪を起しやすい。
人より感覚が過敏なところがあって、不快感を覚えやすいのだ。
それ以外にも、
妹より先に手を洗いたかった(私は何度も促しているのに…)
妹より先に服を着替えたかった(私は何度も促しているのに…)、
飲み物が出てくるのが遅い、
などでも喚く。
そんな長女には生理前でなくても結構イライラしてしまうのだが、生理前になると、抑えきれずに激高してしまう。
あまりにも長くしつこく泣かれるときは、つい大きな声を出してしまう。
そして更に泣き声がヒートアップするという悪循環が起こる。
生理前は、4歳児との戦いなのだ。
いや、真の対戦相手は4歳児ではない。
真の対戦相手とは、自分自身だ。
親という自分自身に戦いを挑まれているのだ。
いかに高ぶる感情を抑えられるか。
これに精を尽くす。
何が人をイライラさせるのか
そもそも人はなぜイライラするのだろう。
自分はどんなときにイライラを感じるか、振り返ってみる。
飲みたいときに紅茶を飲めない、
食事をゆっくり食べられない、いつも冷めたご飯を食べている、
洗濯物を干してしまいたいのに子供に手を止められる、
トイレに誘導しているのになかなか来ない…
「我慢」しているときにイライラを感じるようだ。
我慢自体がイライラを招くのかはわからない。
ただ、私には大きなストレスになっていることに違いはない。
私は一人っ子で、やりたいことはすべて自分の思うままにやってきた。
きょうだいがいないから、おもちゃの取り合いをしたこともない。
つまり、慢性的に我慢不足なのだ。
そして幼い頃から周りの人を自分の支配下に置きたいジャイアン的な性格だった。
成長する過程でそれは良くないことだ感じて社会の中ではしなくなったが、根本的な性格はそう簡単には変えられない。
今でもその気があるのだ。
子育ては我慢の連続だ。
どんなにやさしい人でもイライラすることがあるだろう。
しかし私は、生育環境と根本的な性格のためによりイライラしてしまうようだ。
よく考えてみると、子供たちが親をイライラさせるのではなく、自分自身がイライラさせているのだった。
育児でイライラしないためにできること・・・「我慢」をやめる?
イライラしているときの自分が嫌いだった。
小さな子供のすることに目くじらを立てる自分が嫌で嫌でしょうがなかった。
私はある日から、育児でイライラしないために「我慢」をやめた。
我慢をやめるというのは、子供を無視して紅茶を飲むことでも、家事を進めることでもない。
それは、「諦める」ということだ。
私が家事をしているときに子供に何かを要求されたら、手を止めて思いきり放棄する。
トイレ誘導してもなかなか来なければ、漏らしても着替えさせればいいやという考えにシフトする。
手づかみ食べ真っ盛りの子供の横でゆっくりと食事を摂れないときは、子供が食べ終わった後に温め直して食べればいいやと放置する。
諦めることは我慢とは違う。
我慢はひとつの物事に執着するが、諦めは多角的に物事を見るのだ。
楽観的な思考にも繋がる。
私は自分のやりたいことに関しては完璧主義なところがあり、諦めるのに最初は勇気が要った。
諦めたら物事を完成させられないのではないかという不安があったからだ。
しかし、勇気を出して諦めてみると、案外物事は、諦めても完成するということがわかった。
家事を諦めて子供の要求にすぐに応えれば、癇癪を起さず落ち着いて遊んでくれる。その間に家事を進められる。
トイレ誘導を諦めれば漏らすことが増えるが、子供が自主的にトイレに行く流れを作ることができる。
自分の食事を諦めれば、じっくり手づかみ食べを見守ってあげられる。
満腹になって姉妹で遊び始めたら、その間に温め直したご飯をゆっくり味わえる。
こんな風に諦めた方が、イライラせずに自分のやりたいことを遂行できるのだ。
子供にとっても良いことばかりだ。
母親はいつも機嫌がよく、自分たちの心と体を満たしてくれるのだから。
放棄されまくった家事は、優先順位をつけてやればいつもと変わらない時間に終えられることも知った。
「諦め」を覚えてからは、生理前でもそんなにイライラしなくなった。
つい子供に大きな声を出してしまうこともなくなった。
完全に「我慢の連続の育児」から「諦めの連続の育児」へと移行したのだ。
母親の機嫌と子供の機嫌の関係・・・母親の機嫌が良くなって子供に表れた変化とは
最後に、この記事の本題を書く。
母親の機嫌と子供の機嫌の関係の話だ。
冒頭に、4歳の長女は赤ちゃんの頃から癇癪持ちだと書いた。
些細なことに不快感を覚えやすく、ピーピーと叫ぶ。
それは私の機嫌が良くなっても、基本的には変わらない。
生まれ持った性質だからだ。
しかし、私が「諦めの育児」を心がけるようになってから、明らかに癇癪を起こす頻度や程度に変化がみられた。
癇癪を起こしにくくなったし、癇癪を起こしても言って聞かせれば割とすぐに納得してくれるようになった。
母親の機嫌が良いだけで、こんなにも子供の癇癪が良くなるとは思わなかった。
親の機嫌が子供に伝染することは理解していたつもりだが、実際に体験してみないと本質まではわからなかった。
本質を考えてみることさえなかった。
もしかしたら子供は、親の機嫌が悪いと、拒絶されたような気分になるのかもしれない。
大人であっても、機嫌の悪い人には壁を感じるものだ。
この人は自分とは話したくないのかなとか、自分もこの人とはあまり話したくないなとか考えるだろう。
子供もまったく同じというか、もっと簡単に、あからさまに、そんな反応が見られるのかもしれない。
子供が親に拒絶されて育っていいはずがない。
そうやって育てばきっと、今後の人生に悪影響を及ぼす。
人の顔色を伺って過ごすようになるのだ。
相手の機嫌を損ねないようにすることばかりに重きを置かれ、「自分」がないがしろにされていく。
そうして自分の考えでは動けない人間になってしまうのだ。
自分の考えさえ持てなくなる。
事実、私がそんな人間だ。
いつも親の顔色を伺い、機嫌を損ねないように努めてきた結果だ。
子供たちを私の二の舞にしないためにも、いつでも機嫌の良い母親でありたい。
だから、これからも諦め続けて生きていく。
と、ここまでそれはそれはかっこよく書いたのだが、コロナでの保育園休園により、ついに私はヒステリーを起こした。
詳しくは下の記事をご覧いただきたい。

私には「諦める育児」だけでは足りないようだ。
いわゆる「毒親育ち」の私。
幼少期から続く根本的な部分を直さないといけないようだ。
負の連鎖を起こさないように努めたい。